2020年6月に始動した「都市と芸術の応答体2020」(Reciprocal units within Art and Urbanism 以下:RAU)は、複合的な課題が折り重なる都市で生まれる芸術を、実践から探求する横浜国立大学主催のオンラインプログラム。都市空間に創造的に応答していく視点を持った、アートマネジメント人材育成を主眼としている。
ディレクターを務めたのは、建築家の藤原徹平さんと芸術学研究者の平倉圭さん。そこに、国内外から集まった様々な分野、バックグラウンドを持つ43組44名の受講生が集まり、フラットな集合体として明確なヒエラルキーのないまま進んできたRAUは、一体どのような「応答体」だったのだろうか?
今回取材に応じてもらったのは、今年度のゲストアーティストとしてRAUと併走してきた、『THE COCKPIT』(2015)や『きみの鳥はうたえる』(2018)などで知られる映画監督の三宅唱さん。「土木と詩」をキーワードに、それぞれの暮らしのなかに潜む「土木」を撮影、編集して映像作品を制作するワークショップを年間を通じ実施してきた。
プログラム最後の二日間には、RAUが培ってきた「集団的身体」を外に対して開きより多くの人と議論する機会として、オンラインイベント「RAUフェス 2020-2021」を開催。その中で三宅監督は、自身がリアルタイムで映像編集を行うライブパフォーマンスを公開した。そんな「公演」を終えたばかりの三宅監督に、RAUでの実践を振り返ってもらった。
Text:Haruya Nakajima
Photo:Natsuki Kuroda, M.E.A.R.L.
Interview & Edit:Shun Takeda
「円卓」としてスタートしたRAUでの対話、
「土木と詩」というキーワード
──まず、三宅さんがRAUにゲストアーティストとして参加することになったのは、どのような経緯だったのでしょうか?
三宅 最初にディレクターの藤原徹平さんと平倉圭さんから、「横浜国立大学でRAUというプロジェクトをやるから一緒に何かやってみませんか?」というオファーを受けました。その時点では僕も全容を把握していませんでしたが、シンプルにお二人と仕事をするのが楽しそうだと思い参加を決めたんです。
いきなり余談めいた話になりますが、僕は大学在学中、あまり熱心には大学に通っていませんでした。でも30歳を越えたあたりから、「もう一度大学に通ったら、もっと違う勉強の仕方ができるんじゃないか」と思うようになって。大学生の頃はまだ世の中のことがよくわかってなかったけど、自分の体を通して社会経験を積んだ後で、もう一回主体的に学びたくなったんですね。
その意味でRAUは、僕にとってはもう一度、純粋に学びの場に参加できる貴重な機会になりました。参加者には現役の学生さんもいますけど、すでに大学を卒業してアーティストとして活躍されてる方もいましたし、普段はなかなか出会えないジャンルの人が多かった。それに加えて、先生と生徒の関係がはっきりした講義というよりは、参加者たちがフラットな状態で物事を一緒に学べる場だったことも、とてもよかった。
しかも、みんなあんまり理解していないキーワードである「土木と詩」という旗を目がけて、全方向から「ヨーイドン」で近づいていくわけです。誰もスタート地点でリードしていない、あるいはリードしていたとしてもどんどん変化していく、その感じがおもしろくて。たぶん、一方向的な講義だったら、僕はすぐ飽きちゃってたと思うんですよ。でもそうじゃなくて、わからないことがちょっとずつわかっていく過程がスリリングで、刺激的でしたね。
──おっしゃる通り、RAUは「そもそも目指すゴールは何なのか?」というところから議論が始まっているはずですよね。「土木と詩」というフレーズをもらった時、三宅さんはどう感じましたか?
三宅 正直に言うと、「土木」も「詩」も全然わからないな、と(笑)。このフレーズに対してかなり素朴な把握の仕方しかしてなかったし、ゴールも明確じゃなかったから、ゲストアーティストとして僕に何がやれるんだろうと始まる前は少し不安でしたし、かなり肩肘張って緊張していました。。
でも、始まる直前の打ち合わせで、ディレクターのお二人から「これは大学なり大学の講義の延長ではない」とはっきり言ってもらえて腑に落ちました。生徒も講師もフラットな関係で共に模索していく場なんだという意味が、やっと感覚的につかめたんです。最初はテーブルをはさんでこっち側と向こう側があるようなイメージでしたが、「あ、円卓ね」みたいな(笑)。そこから僕は割合すんなりとスタートできました。
それに、仕事の場だと失敗するリスクはなかなか負えないわけですが、こういういわば純粋な学びの場だと、どれだけ試行錯誤できるか、どれだけ失敗できるかこそ重要だという点も、事前にディレクターたちと話したような記憶があります。「わかんないけど、やってみよう、前に進んでみよう」というプロジェクトだと。なので、ゲストアーティストなんて役割は忘れて、いっそ無責任に、楽しくリラックスして取り組もう、と言うモチベーションになりました。
現在しか映しだせない映像表現の美と限界
──今回のワークショップで取り入れられた手法は、三宅さんが2014年に開始されたiPhoneを使って日々撮り続けていた映像日記、『無言日記』のアレンジバージョンですよね。どうしてこの手法を選んだのでしょう?
三宅 僕の持ってる道具、RAUの言葉でいうと「共有できる技」が『無言日記』でした。別に万能というわけではないけど、ちょっとだけ素敵な道具があるから一回みんなで共有してみませんか、くらいの感じです。
みなさん参加した時点で、世の中に対するアプローチとしてそれぞれの道具を持ってるわけですよ。それは建築であったり、絵画であったり、場合によっては医療だったりする。それを一度、それこそフラットにするために、「みんな同じフォークで食べてみましょう」と。「僕は箸が得意なんだけどな」という人もいるだろうけど、一回フォークを使ってみることで、「フォークって便利だね」とか「フォークってモノを切るのすごく難しくない?」と感じてもらうところからやっていきました。
実際に使ってみて、「やっぱり全然使えないね」「素手で食った方がうまいよ」って意見が出たとしても、僕はそれで全く問題ないと思ってました。要するに、「共通の入り口」として機能すればよかったんです。
──自分にフィットした道具を見つけるためにも、まずみんなで共通の道具を使った方がいいんじゃないか、と。RAUの活動をまとめた冊子では『無言日記』の役割として、「生活圏を映すおもしろさと、映像の限界に気づいてもらう」といったことを書かれています。前者はよくわかるのですが、後者について、三宅さんが気づいてほしかった「映像の限界」とはどのような部分なのでしょうか?
三宅 結局、映像って現在しか映ってくれないんです。文字やデータの資料であれば、そこにかつてどれくらいの時間が流れていたか、どんなことがあったか、具体的に叙述できますよね。でも、映像には現在しか映らないし、事物の表面しか映らない。かつ、映像はフレームを持っていて、その扱いがこれまた難しいところで。
難しいというのは、もし仮に美的な価値基準だけを突き詰めていくと、フレーム内の充実だけが目指されて、フレームの外や事物の奥に存在していたはずの歴史や背景がどんどん切り捨てられていって、「現在の美」だけに還元されてしまう危険があると思うんです。危険というか、つまらない。本当はもっと生々しいはずの被写体が、フレーム内に閉じ込められて死んでしまっている感じ。
もちろん芸術ではあるから「美」も必要なんですが、それ以上の何かが欲しくて僕も模索していたんです。単に美しいだけなら、ミュージックビデオでも広告でもいくらでもありますからね。他ジャンルの人たちと協働することで、それとは一歩違う役割を映像が担えないのかな、と思っていました。
「ブラタモリ」的散策の楽しみの先に、切実な「詩」を見つけること
──対話を重んじながらワークショップを展開していく中で、受講生にはどんな変化が起こっていきましたか?
三宅 最初は予想の範囲内。誰もがある程度撮れたり、同時にある程度とっ散らかったりするというのは経験上わかっていました。でも、今回は編集していく過程で飛躍的に物事が前進して、予想をはるかに超えて行って、僕がついていくのが精一杯。。
これまで『無言日記』は撮影された素材を時系列に並べるのが基本の編集方針でした。あるいは、劇映画であればシナリオに沿って並べればいい。つまり編集方針として「時間軸」を参照することが基本なんです。けど、今回は純粋に、映像を一つの言語のようにして組み立てていった。すると、最初の頃はカタコトに近いシンプルな構文しか喋れなかったのが、ちょっとずつ複雑な文章を喋れるようになっていった、という感触があります。
──最初はSVだったのがSVOCになっていくように、文法が確立されていくような感覚?
三宅:ええ。と同時に、矛盾するようですが、映像言語には「法」にするほどの骨格はなくて、SだったはずのものがVの位置に来ればVの機能を果たすような、すごく柔軟で豊かなものです。勘のいい受講生たちはその感覚をつかんで自分の作品で実現してくれたし、そこから僕も色々と学ばせてもらいました。
──RAUの中で、合意が生まれることから出てきたその文法や型みたいなものって、あえて言葉で言うとどのようなものなんでしょうね。
三宅 型と言う言葉が正確なのかは分かりませんが、あくまで僕の場合、映像で大事にしているのは、カットが1から2に変わる瞬間に、ある種の「納得」と「新鮮な驚き」が常にキープされ続けることなんです。次のカットまでグッと踏み込めて、でもそこには「そうなるよね」って納得だけじゃなく、「オワッ!」って立ち上がる驚きもあるような。その二つの感覚を得られるかどうかが大切なんですよ。
もちろん記録や保存を目的とした映像なら、もっと説明的だったり正確だったりすることが役割として求められると思います。でも、今回僕らがつくっているのは「土木と詩」であり、「どれだけ心が動くものをつくり出すか」に賭けてるわけですよね。「土木」にどれだけ、どのくらいの角度で驚けるか? それが芸術にとって重要だと思いました。
──なるほど。冊子では「他花受粉」というフレーズも出てきますが、RAUが進む中でナレッジや発見が溶け合っていったのではないかと思います。みんなで手探りしながら道を歩んでいくような体験はいかがでしたか?
三宅 道を見失わなければいいな、とは思っていました。例えば「土木」をテーマにしているからって、地理学や地政学的なウンチクや知識が増えるだけではいけないなと。誤解を恐れずに言えば、『ブラタモリ』の二番煎じ的な時間になることは避けたかったんですよ。
もちろん僕だってある土地の歴史を知ることは好きですよ。でも一方で、自分の中にあくまで「で?それが何の役に立つの?」っていう冷めた感覚もある。それを知ったからって自分の人生にどういう影響があるんだろう、と。「土木と詩」というテーマと自分の人生や心がちゃんと衝突するポイントを探りたかったという感じ。
──それは三宅さんの中にもともとあったもの?
三宅 ですね。飲み会なんかでも、おもしろいアイデアっていろいろ思いつくじゃないですか。でも結局その後に実現するのって、どうしてもやりたい、やらないと辛い、って思えるような切実なアイデアだけ。そうじゃないと、ぼくは面倒臭がりだから体が動かなくて、実際に作るまではなかなかいかない。
僕やRAUの参加者たちが、「僕はどうあってもここに心が動く」という「詩」の部分というか、グッとくるポイントがないと、たぶん悪い意味で趣味の集まりで終わっちゃうと思ったんです。でもきわめて幸運なことに、どの映像も切実なものになったんじゃないかな。
──三宅さんから見て、どんな要素が参加者の切実さをキープできたんだと思いますか?
三宅 作品をつくるという行為自体が結果的にそうさせたんだと思いますね。みなさんそれぞれ「ああもできる」「こうもできる」と考えたはずですけど、その人にとって取り替えのきかないものを、締め切りのタイミングで出してきてくれましたから。
「崖の町」横浜で描かれた「土木と詩」のあり方
──映像編集のライブパフォーマンスを見ていて気になったのは、「崖」や「崩れ」というキーワードが何度も出てきたことです。
三宅 被写体が「土木」ということで、橋やトンネル、防波堤、道路、公園なんかを色々と見てたんです。終盤になって、小説家の幸田文が『崩れ』という名文を書いていることを知りました。すごい、RAUの大先輩がいるじゃん、と。彼女の感性がすごくおもしろくて、夢中になって読みましたね。
そんな中RAUフェスの会場がBankART Temporaryに決まって、近くで何か特徴的なものはないかと散策することに決まりました。藤原さんが「実は横浜という港町は少し行くと『イエロークリフ』という崖があるんだ」と。横浜と言うと、中華街をはじめとしたいろんな観光名所があったりと、いろんな社会的・文化的コードや先入観にまみれている町だと思うんですけど、この散策を経て「土木的には実は崖の町なんだ」と体で実感することができました。
──横浜って港ばかりに目がいっちゃうけど、土木的には「崖」だったんですね。
三宅 そうなんです。パフォーマンスで使った映像素材は、その崖「イエロークリフ」を撮ってもらったものが中心。また、オンラインの参加者にはもう少し抽象度を上げて、まさに幸田文からいただいたワードである「崩れ」を、それぞれのお住まいの近くで撮ってきてもらい、送ってもらいました。そうして集まった合計2時間弱分くらいのカットを元に、僕が編集していったんです。
──「崩れ」というのは、人間が自然へアプローチしたものが崩壊していく様、ということなんですかね。
三宅 それもありますが、人間がいようがいまいが勝手に崩れていくものでもあります。人間が介在するとちょっと温度感がありますが、そうじゃなくて、もっと単純にただただ力が移っていく現象。そこに何かしらの感情を抱くのが人間です。例えば、「崩れ」という詩の言葉で崖を捉えた時に、我々は何か感じるところがあって心が傾く、ということだと思います。
RAUを経て獲得した「新しい自転車の乗り方」
──リアルタイムの編集パフォーマンスは、RAU全体のキーワードとしてあがっていた「集団的身体」が結実した一つの形だったと思うんですが、いかがでしょう?
三宅 実は僕、「集団的身体」という言葉に未だピンと来ていないんです。あまりそこがゴールだとは思ってなくて、言葉としても「硬くない?」という(笑)。単にボキャブラリーの問題かもしれませんが、自分がRAUを通して実感したのはもう少し違う感覚なんですよね。だから自分の語感とは若干ズレがあります。かといって、まだ新しい言葉を見つけられてないんですけど。そもそも、僕の普段の仕事である映画制作の現場では、集団でモノをつくってますし。
──映画制作との違いは感じましたか?
三宅 うーん、どうでしょう。 一人でモノをつくることって僕はあんまりやってないんです。文章を書くくらいですかね。ただ、生モノ感というか、集団制作のメンバーが入れ替わると中身もかなり変わるというところがおもしろかったですね。それくらい可変的で流動的であり、いまあるのはあくまで暫定的なものでしかないという感覚というか。
生モノを扱っているという意味で、土木技術者の方々だってそうだと思うし、僕らは僕らで土や水と同じく生モノである共同作業者や役者や光と一緒に働いている。でかいことを言うようだけど、どんな仕事もそうなんじゃないかなと思うし、自分も相手も被写体も創作の現場中はくっきりとは分かれてなくて、大きな生モノの一部という感じがするときがあります。
となると、一人の身体と集団的身体ときっちり分けて考えるよりも、、もっと体が世界に溶けているというか、そもそも僕らは普段生きている時から、きっと一人であり集団でもあるような流動的な身体を生きているのかもしれない、みたいに体感してみる方が面白いのかも……まあ、まだちょっとわかりませんが!
──では最後に、今回のRAUは一区切りつきましたが、三宅さんの中でこのプログラムを始める前と後で捉え直したこと、あるいは今後の制作に引き継げそうな予兆は何かありますか?
三宅 映画づくりに限って言えば、自分の中で自信がついたし、すごく手応えがありましたね。劇映画なり何なりで実践しようとしているところです。ちょっと具体的にはあんま言えないんだけど(笑)。
──気になりますね(笑)。では、そのRAUで得た感覚は、すでに言葉にしようと思えば──
三宅 やろうと思えばできますね。この技は確実に覚えたぞ、って感じがある。身体が自転車の乗り方を覚えたようなものなので、その感覚はもう忘れないと思います。
──それは手法的なものなんですか?
三宅 手法というか、うーん、自分にとっての映画や映像を今一度再定義できた感じですかね。「俺のチャリの漕ぎ方はこれだ!」みたいな(笑)。
それはRAUをやってなくてもたどり着けた感覚かもしれないけど、RAUによって加速できたのは間違いありません。だから個人的な収穫はめちゃくちゃデカかったですね。
──プログラムが始まる前のテキストでは、ご自身の映像の取り扱い方のメンテナンスになるだろうと書かれてましたけど、むしろビルドアップになったんですね。
三宅 前のテキストを読み直すと、モヤモヤしてるし、だいぶ湿っぽい。今はその気分からはだいぶ抜けた感じがあります。もうすぐ新作のクランクインだから、強制的に身体のスイッチが入ってるというのもありますけどね。ぜひ楽しみにしててください!
PROFILE
三宅唱(みやけ・しょう)
映画監督
1984年北海道生まれ。 一橋大学社会学部卒業、 映画美学校フィクションコース 初等科修了。 主な長編映画に『ワイルドツアー』(2018)、『きみの鳥はうたえる』(18) など。 最新作は Netflix オリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』(20)。 他に鈴木了二 との共同監督作『物質試行58:A RETURN OF BRUNO TAUT 2016』(16) やビデオインスタレーション作品として「ワールドツアー」(18/ 山口情報芸術センター[YCAM] との共作)、「July 32,Sapporo Park」(19/札幌文化芸術交流センターSCARTSとの共作) などを発表している。
RAUフェス2020-2021 DAY1 ビューイング
RAUフェス2020-2021 DAY2 映像編集ライヴパフォーマンス
INFORMATION
「RAU2021:都市と藝術の応答体2021」
2021年5月より、オンラインプログラム第二期が開始されます。
4月22日(木)よりメンバー募集開始。5月5日(水)募集締め切り。詳細は下記公式サイトへ。
主催:国立大学法人 横浜国立大学
助成:令和3年度 文化庁 大学における文化芸術推進事業
ディレクター:藤原徹平、平倉圭
プログラムマネージャー:染谷有紀、山川陸
広報:山本さくら
グラフィックデザイン:鈴木哲生
公式サイト:https://rau-ynu.com/