仲間が辞めない「生態系」が新事業をつくる。R不動産が社員を雇わないわけ(前編)

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その物件に住んだとしたら、いったいどんな暮らしが待っているのだろうか。そんな問いに対して、まるで魅力的な物語を提案するかのような、不動産メディアの雄・東京R不動産。

そのディレクターであり株式会社スピークの共同代表である林厚見さんは、フリーエージェントとオーナシップという仕組みで、ひとつの法人にとどまらない多彩な事業展開を行う「生態系」を形づくっていた。

集った仲間が離れないために、共通の「音楽性」を持った仲間を探すために、彼は何を考えたのか。創業までのバックストーリー、ディベロッパーとは何者か、ビジネスとロジックのあり方、場所とそこにまつわる物語……縦横無尽に繰り出されるお話を、M.E.A.R.Lを運営する株式会社まちづクリエイティブ代表取締役の寺井元一がうかがった。

Text / Edit:Shun TAKEDA
Photo:Yutaro YAMAGUCHI

「金なし土地なし頭あり」の若手ディベロッパーたち

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寺井 今日は、「仲間集めの方法」というテーマで林さんに色々なお話をうかがっていきたいと思っています。まずは改めて、どういう形で現在の仕事のされ方に至ったのか、そのバックストーリーを振り返っていただきたくって。

 僕はもともと建築家を目指す学生だったんです。でも勉強していくいうちに、作品やアートとしての建築はもちろん好きだけど、自分自身は作家としてやっていくタイプじゃないなと漠然と感じていて。

当時都内では、いい雰囲気の建物がどんどん壊され、タワーマンションや面白みのないビルが次々建っていました。これをどうにかしたいなと思ったんです。ただ、経済的なロジックを学ばない限り反撃に打ってでれないなと感じて、一度ビジネスの世界に行ってみようと思った。それで経営コンサルの門を叩きました。

寺井 クリエイター的なマインドを持って勉強をしていたけれど、その裏側にある経済理論を知ろうとされたと。

 はい。経営コンサルというのは仕事や事業のつくり方を学べるというのも魅力で。ただ実際働くうちに、大きなビジネスモデルを考えるということだけをやっているのはちょっと違うかも、ということに気づいたんです。そこで本当にやりたい仕事ってなんだろう、と考えた時、やっぱり都市空間のデザインだな、と思ったんですね。

でも調べてみると、都市計画という分野はルールをつくる仕事だとわかって。僕はむしろプレイヤーになりたいとい思いがあったので、するとディベロッパーかな、と思うようになったんですね。

寺井 都市計画って規模も大きいので、ルールメーカーとプレイヤーが明確に分かれていますもんね。

 そんな時、コロンビア大学に「real estate development」というコースがあるのを知って「これは俺にぴったりだ!」と思ったんです。ここではじめて不動産という世界と自分がつながった感じなんですよね。

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そして米国にいる間に、クリエイティブなものと経済合理性を組み合わせる発想が日本の不動産業界に足りない、ということがわかってきた。アメリカではディベロッパーというと、「金なし土地なし頭あり」という感じ。知恵のあるプロデューサーが土地や物件のネタをゲットし、企画を売り込んでお金を調達して、空間をつくり事業として成功させる。これが日本とはだいぶ違った。

ただ不動産の仕事をしていくには人脈やネットワーク、そして業界の常識もどうしても必要になる。じゃあそれを得ながら仲間を探すためにもう一度就職しようと思って、スペースデザインという不動産デベロッパーに中途で入ったんです。すでに29歳になっていました。

寺井 コンサル、そしてアメリカへの留学を経て、不動産業界に入っていったんですね。現在の会社の仲間たちとは、そこで出会ったのでしょうか?

 そうなんですよ。入社前に会社の合宿に参加したときに、サングラスに迷彩のダウンを来た男が近づいてきて「ねえ、建築って限界、あるよね?」なんて話しかけてきた(笑)。「なんだか気合い入っているやつがいるなあ」と思いましたが、それがのちに共同創業者となる吉里だったんです。

寺井 吉里さん、パンチ効いてたんですね(笑)。

 そうですね(笑)。彼も建築家の作家的なスタンスとは違う視点を持っていたことがわかり意気投合したんです。当時はやっと、社会や経済とうまく接続された建築の可能性についての議論が興り始めていた頃。同時にリノベーションという概念が国内でも徐々に広がりはじめていた。

そんな時、IDEE創始者の黒崎輝男さんが古いビルをリノーベーションしていく「Rプロジェクト」という活動というかムーブメントのようなものを旗揚げしつつありました。そこに馬場正尊という人がいて、のちにR不動産を一緒にやることになりました。

それが2003年くらい。で、馬場さんが古い空きビルを見つけてその可能性を語るブログのようなものをはじめたんですよ。それが「東京R不動産」の走りです。そして吉里が「これは可能性がある」ということでチームを組んだんです。当時から馬場さんは自分の会社を持っていましたが、その半年後に僕と吉里が一緒に不動産の企画会社を立ち上げたこともあって、R不動産を不動産仲介メディアとして皆で事業化することになりました。

寺井 それがオープンAとスピーク、ということですよね。

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 そうです。僕らの仕事の中では東京R不動産が一番広く知ってもらえたので、そこがアンテナになって、そのほかの色んな仕事のきっかけになっていった、というのがこれまでの流れです。

寺井 お話いただいて、ざっくりと流れを見渡すことができました。林さんもですが、みなさんクリエイター的思考を持ちつつも、ビジネス的な感覚をも使って社会に、もっと言えば実際の街に実装していくことを志向されていたと。

 はい。ただこれまでは僕らは点というか建物単位で場所や空間をつくったりつなげたりする仕事がメインで、街という面単位のデザインはあまりやってこなかったんです。で、2015年あたりからリノベーションとまちづくりが、重なって語られることが多くなり、リノベーションスクールを軸としたエリアリノベーションが各地で進み始め、僕らも地方都市や地域の持続やデザインに関わるようになりました。

その方面で今思っているのは、建物のリノベーションで事業を次々に起こしていくこととともに、一方でマクロな目線での戦略も考えていきたいということです。ただそのマクロの部分も、経済学者的な議論や旧来の都市計画的な方法でやってもおもしろくならないし、うまくいかない。ここにもクリエイティブと経済合理を重ねていく知恵が必要で、そこに今一番興味があるんです。

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