Scramble City #02|赤坂 From Kaisu 鈴木重任

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日本各地に増え続けるゲストハウスには、国内外を問わず、日々様々な背景を持った人々が訪れる。本企画では、そんなゲストハウスを、外部から見た「町のイメージ」と内部から見た「町のリアリティ」の行き交う“交差点”と位置付け、そこで働くスタッフの方々に等身大の「町の姿」をたずねる。

第2回に登場するのは、港区赤坂で営業していた料亭「島崎」を改装し、2015年6月にオープンしたゲストハウス「Kaisu」。もともと赤坂は東京六花街の1つにも数えられるなど、戦後から日本有数の花街として栄えた町。70年代後半の「官官接待」への批判やバブル崩壊を経て料亭の数は減り、今はビジネス街というイメージが色濃い。こうした赤坂の変遷をどう感じているのか?歴史の刻まれた物件から、現在の赤坂を眺める共同創業者の鈴木重任さんに話を聞いた。

text:Yosuke NOJI
photo:Ryuichi TANIURA
Edit:Shun TAKEDA

花街として隆盛を誇った町・赤坂

ー「Kaisu」は、学生時代からの友人・河津考樹さんと2人で創業されたということですが、そもそもゲストハウスを始めたのはどうしてなんですか?

代表の河津とは、大学時代にアメリカに留学していたときからの友人なんですけど、4年ぐらい前に「何か一緒にやろう」と声をかけてもらったんです。当時、僕は花屋をやっている母親の仕事の手伝いをしていたんですけど、それがちょうど一段落したところだったのでタイミングが良くて、すぐにブレストを始めました。

とにかく最初は思いつくままにアイディアを出していったんですけど、その中で海外の友達が日本に来たときに、気軽に泊まれる場所がないね、という話になって。僕らはお互いサーフィンが好きで、それで海外にも行っていたから外国の友達が多いんですけど、いつも彼らが泊まる場所に困っていた。それなら、自分たちで彼らを案内できる場所を作ろう、というのが始まりです。

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ーもともと赤坂にはご縁があったんですか?

いや、それが物件探しが難航しまして……。最初は自分たちの遊び場でもある渋谷や恵比寿、目黒などで探したんですけど、当時渋谷区には緩和前のラブホテル建築規制条例があり、旅館業許可を取得するのが難しかった。また、そもそも東京の西側には、十分な客室数を確保できるような物件も少なかった。

それで「どうしようか」と困っていたときに、以前不動産の仕事をしていた河津の元同僚から「赤坂におもしろい物件があるよ」と紹介を受けて出会ったんです。僕は、一時期赤坂で働いていたこともあったんですけど、正直ビジネス街という印象が強く、最初はここでゲストハウスを運営するイメージが湧きませんでした。

ー確かに、この辺りは仕事で訪れる人が多そうですが、何かイメージが変わるきっかけがあったんですか?

物件のオーナーさんにお会いしたことです。この場所が料亭だったときに子ども時代を過ごされた方なんですけど、小さい頃は出入りしていた芸者さんに可愛がられて育ったそうで、町に対する思い入れが強い。その方に、建物や町の歴史を教えていただき、イメージが変わりました。

ー赤坂は国会議事堂やアメリカ大使館にも近く、古くは花街として非常に有名でした。

そうなんです。高度経済成長期から70年代初頭までの最盛期には、料亭を中心に魚屋さんや肉屋さん、それに仕出し屋さんなどが立ち並び、伝説的なディスコとして知られる「MUGEN」もあった。だから、政治家や経営者、芸能人までこぞって赤坂に集まっていた時代があったんですけど、バブル崩壊前後から変化し、今では料亭も数えるほどしかない。

そんな中で、オーナーさんは建物を残していくために、いくら好条件のマンションや駐車場建設の申し出があっても断っていた。僕らは建物を活用しつつ、ゲストハウスを運営していきたいと考えていたので、「それならいいね」と共感していただき、始めさせていただきました。

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