語ることから「写真が始まる」。黑田菜月×長谷川新インタビュー

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東京・東神田のgallery αMにて、長谷川新さんをゲストキュレーターに招いた連続企画展『約束の凝集』が開催されている。曽根裕さん、永田康祐さんに続き、その第3弾として開かれているのが黑田菜月さんの個展「写真が始まる」だ。

地下1階の展示室に入ると、入り口には三脚に固定されたポラロイドカメラが置かれ、いくつかの額装された写真が点々と壁に掛かっている。さらにメインフロアは仮設壁に区切られ、2点の映像作品が上映されていた。それが《友だちの写真》と《部屋の写真》だ。

《友だちの写真》は、横浜市立金沢動物園で子どもたちを対象として行われたワークショップの記録。子どもたちは写真を使って問題をつくる「問題チーム」と、その問題を解く「推理チーム」の2班に分かれて動物園を歩き回る。お互いが顔を合わせることのない中で、写真を通したやりとりが交わされる。

続けて、観客は各自イスを持って仕切りの奥へ移動し《部屋の写真》を鑑賞することになる。こちらは介護の現場の人々へのインタビューだ。介護者に手渡される写真は、かつて介護者自身が介護を行っていた人の部屋の写真。彼・彼女らがその写真から言葉を紡いでいく様を映像に収めている。

計1時間程度の鑑賞体験の後、不思議な浮遊感が残ったままの状態で「待合室」として設えられたギャラリーの一角へ。動物園と子ども、介護の現場と介護者をモチーフに、写真を主題として撮られたこれらの映像は、はたしてどのような意図やプロセスでつくられた作品なのか。また、この展覧会はどう設計されているのだろうか。

本展の作家である黑田さんとキュレーターの長谷川さんに、昨年gallery αMで個展も行ったアーティストの中島晴矢が話を伺った。

 
Text:Haruya Nakajima
Photo:Takashi Kuraya
Edit:Chika Goto

アートの「荒野」から引き返して

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──映像、引き込まれました。まだ見終わった直後でうまく咀嚼しきれていませんが、まずは展示の背景から伺います。どのような経緯でこの展示が実現したのでしょうか?

黑田:2018年に、もともとお付き合いのあった横浜市立金沢動物園から「写真のワークショップをやらないか」とお誘いをもらったんです。いろいろと理解のある動物園だと分かっていたので、何かチャレンジングなことができないかと思い、2日間のワークショップを映像に撮って、後日また別の形で発表するという提案を受け入れてもらい、映像作品《友だちの写真》を制作しました。

それを2018年8月に動物園の中で発表して、さらにその年の冬、よりつくり込んだ作品を荒川区・東尾久のギャラリーOGU MAGにて3日間限定で展示します。その半年後くらいに、新しい映像作品を撮ろうと思って撮影チームの一人である映像作家の宮澤響くんに話を持ちかけました。そうしたら、打ち合わせのために行った居酒屋に長谷川さんもいらした(笑)。私は初対面だったんですが、「僕のことは気にせず打ち合わせしてください」と。

(左から)長谷川新さん、黑田菜月さん
(左から)長谷川新さん、黑田菜月さん

──(長谷川さんは)無視しづらいというか、割と存在感のあるタイプですよね(笑)。

長谷川:完全に空気の読めない人になってますが(笑)。経緯としては、本屋で立ち読みをしていたら宮澤くんに声をかけられて、「時間ある? 飲もうよ!」と。じゃあ一杯だけ、ということで飲み屋に行ったら「実はこのあともう一人来て打ち合わせがあるんだけど……」「じゃあ俺を呼んじゃダメでしょ」という(笑)。

黑田:結局ちゃんと打ち合わせはして、その間長谷川さんは一人で飲んでたんです(笑)。でも後日、長谷川さんが「映像おもしろそうなので見せてください」とわざわざ連絡をくれて。なので、長谷川さんと不思議な形で居合わせたのが、今回上映している二つの映像の展示のきっかけだったんです。

──そんなめぐり合わせだったんですね。長谷川さんが黑田さんをgallery αMの連続企画展『約束の凝集』に声をかけたのには、どういう狙いがあったんですか?

長谷川:今回キュレーションしている『約束の凝集』では、「何事も一生懸命やっていたら、アイロニカルな視点に立っちゃうよね」という話をしているんです。真剣にやればやるほど「アートって意味ないんじゃないか」「結局金がある奴が勝つんじゃん」と。ステートメントにも書いているように、それは「虚無と相対化の荒野」なわけです。しかも、多分それは全部単なる妄想だと済ませられないわけですよ。切実なんです。

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──たしかにアートをやっていると、その無意味さに虚しくなる瞬間はありますよね。

長谷川:ありますよね。でも作品をつくっている人たちの中で、その「荒野」に一回行き着くんだけど、そこからまた引き返してる人たちがいると思うんです。「意味ないかもしれないけど、とはいえつくりたい」とか「やっぱり好きだから」とか「気になって仕方ないから手動かすわ」みたいな。そこをクローズアップしたかった。『約束の凝集』は五つの展覧会から構成されていますが、一つ一つの展示を見ていくことで、作家それぞれの「帰還の技術」に刺激を受けてほしいんですよ。

──いったん「荒野」にたどり着いてしまった上で、そこからポジティブな転換を図って創作を続けている作家たちである、と。

長谷川:「自分のほうがより厳しくて不毛な荒野にいるんだ」ということを競い合うのをやめよう、ということですかね。今回の黑田さんの映像はそういう作品だと思うんです。写真のもつ危うい側面とか、結局写真は単なる写真でしかないってこととか、そういったことを一度受け入れて、それでも続けてるのがよくわかる。《友だちの写真》も《部屋の写真》もすごく自然に撮影が行われているから、そこに高度な技術があることに気づきづらいんですけど、普通はこんなことはできませんよ。同じことを別の人がやっても、たぶんこんなふうには絶対ならない。

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写真を通して出てくる言葉

──まさに黑田さんの作品は被写体と関係性をつくるところから丁寧ですよね。子どもや高齢者をモチーフに選んだ動機はありますか?

黑田:そもそも、私のような女性作家が子どもや高齢者を被写体にしていると、やや固定された印象を持たれる。「優しい」とか「やわらかい」みたいな。何を撮影しているかと、いかに撮影しているかが混同されて話される気がする。

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優しさは時に「ゆるさ」や「甘さ」みたいなほっこり感とか、作品自体の「弱さ」に回収されかねないですよね。まあ……そのような印象を持たれることを前提にしても、逆にそれらを中心に置いてもいいのかな、と。私、子どもやお年寄りとも喋りやすいし自分がうまくやれる資質を最大限に使おうと思いました。

──おっしゃる通り、実際に作品を鑑賞してみると、表層の優しいイメージはいい意味で裏切られました。どちらの映像にも、写真を通して交わされるコミュニケーションの不確実性が際立っていると感じたんですが、動物園で撮られた《友だちの写真》は「問題チーム」と「推理チーム」に分かれてワークショップが行われます。なぜそうしたルール設定にしたんでしょう?

黑田:写真を使ったやりとりをしてほしいと考えていたのですが、子どもたちにはそのやりとりをゲームという遊びとして行ってもらうことが自然かなと思いました。「誰かに対して何かをやってあげよう」ということではなく、自分ごととして捉えて参加できる仕組みはゲームかな、と。

参加者を子どもにしたのは、彼・彼女らの「言葉」が気になったからですね。写真を見て出てくる言葉は、私は全て「正しい」と感じていて。自分が見えたものが一番正しいと思うんですよ。そうした言葉を堂々と言える場所をつくろうとした時に、写真はそれができそうだった。人に対して意見を言うのは大変だけど、「私はこう見えたんだよね」というやりとりは決して対立にならないというか。

それに写真を見て言葉にする時、ある種の飛躍が起こるのが素敵だと思ったんです。その飛躍をダイレクトに表現できるのは、小学生くらいの年齢の子たちかな、と。

《友だちの写真》より
《友だちの写真》より

──なるほど。言葉の習熟度によって写真のイメージと言語の間に飛躍が起きる年齢層を選んでいたんですね。一方で、《部屋の写真》は高齢者を介護する方々を話し手かつ被写体としています。

黑田:2017年頃から、千葉の木更津市にあるデイサービスの施設でずっと撮影を継続してきました。どうやって作品化するか悩んでいたんですが、最終的に私が撮った被介護者の部屋の写真を見てもらいながら介護スタッフに話をしてもらう、という形に行き着きましたね。

《部屋の写真》より
《部屋の写真》より

やっぱりそうした現場を撮影させていただくのは難しくて、最初はデイサービスや老人ホームを探して回っていたんですが、なかなか見つからなくて。一度、知り合いのツテがあった中国まで行って撮影したこともあります。

──わざわざ中国まで!

黑田:その時はいっぱいいっぱいだったので、「撮れるんだったら行きます!」みたいな姿勢で渡航しました。その記録を前例としてお見せしながら施設を回ったら、撮影可能なところがいくつか出てきた。その中で、木更津の施設で撮影させていただけることになったんです。

老人ホームと違ってデイサービスなので、独居している高齢者の家にスタッフの方が日中訪問します。独居で、認知症が進行していたりすると一人で暮らすこと自体が難しいので、スタッフは高齢者の暮らしや生活と密接に関わっていくんですよね。時にはスタッフが部屋を改造して生活を成り立たせることもありました。そうやってある人を支えるために「他者」が介入していることに興味を抱きました。

中国の介護施設で、介護士の方から被介護者の話を聞く際、彼らになりきって話しながら、両者の境界が曖昧になってしまう場面が印象的でした。

介護士の方がおじいさんの気持ちになりきって話しながら「でも私(高齢者)の本当の気持ちを、私(介護士)がわかっているとは思っていない」、と。今回撮影した部屋の中では、他者からの介入がより視覚的に起きているのが印象的で、それをどうやって形にするか模索しながら制作していきました。

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──《部屋の写真》でも介護スタッフの方が涙するシーンがありましたね。被介護者を愛称で呼んでいたり、まるで擬似家族のように感情移入している。そこで「視覚的に」というのは、今回写真というメディアを主題としていることにもつながると思うんですが、特にどのようなポイントが印象深かったのでしょうか?

黑田:うーん、写真に表れているものって、ある人にとって見えているものが他の人にも見えるかというと、そうじゃないと私は思うんです。人によって読み取れる情報が全然違いますよね。でも、それぞれの見えたことがなかったことにはならないはずだとも思う。

──たしかに最初、写真だけが映される長いカットがありますね。観客からすれば何の変哲もない写真を長々と見せられる。でも職員さんが語り出すと、その一枚の写真に無数の記憶が詰まっていることがわかります。

黑田:はい。その「情報量の差」みたいなものをどうやって表現として外部に持ち出すか、難しさを感じていて。当事者に見えるもの、私に見えるもの、そして他の人たちに見えるもの。その違いが伝わるのか、または伝わらないのか……そんなことをずっと考えていました。

《部屋の写真》より
《部屋の写真》より

最終的に「当事者が写真を語る映像」という構造になったのは、「私が語る」ということから逃れたかったからなのかもしれません。写真を撮るということはカメラマンの主体が強い。展示にしても、写真や資料を配置して空間をつくっていくと、やっぱりそれは作家が選んだものになる。それだけじゃない視点を入れるには、映像を通して誰か別の人に語ってもらう必要がありました。たしかに写真は私が撮ったものですが、その一枚を選んだのは話し手の方たちですから。

長谷川:黑田さんは、「人は写真について語ることができるはずだ」と信じていると思うんです。信じ切ってないとこんな作品はつくれない。注意すべきは、この作品は単に「コミュニケーション」をテーマにしている素朴な作品ではない、ということなんです。《友だちの写真》では子どもたちが最後にお互い写真を見せ合うこともないし、《部屋の写真》ではケアされる側の被介護者たちが映像に登場することもないんですよ。

あと《友だちの写真》は全然「優しい」ワークショップでもない。子どもたちは自分が撮った写真も持って帰れない。結構フラストレーションの溜まることをするなと思うんだけど(笑)、みんな納得するわけです。コミュニケーションとか、物とかとは異なる喜びを持ち帰っている。写真を撮って言葉にする、また別の人がその写真と手紙を見て写真を撮り、言葉にする……実はこれって普通に「制作と鑑賞」なんですよね。

黑田:そう! そうなんです。コミュニケーションというよりは、「制作と鑑賞」をやってほしかった。もっと言えば、問題チームの制作物に対して、推理チームは想像して、考える過程を経て、最終的に揃った2枚の写真を言葉にする批評的な行為ができたらいいなと思っていた。

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参加作家たちの痕跡を引き継ぎながら展示空間をつくる

──なるほど。ワークショップ参加者や介護者が、写真を「鑑賞」して言葉によって「批評」し、さらに自ら写真を撮ったり物語ったりすることによって「制作」をしている、と。展示空間としては映像作品が2点あり、壁面にはいくつかの写真が掛かっています。この展示形式に至るまでには、作家とキュレーターの二者間でどういったやりとりがあったのでしょうか?

長谷川:まず、空間は純粋な光量という意味で明るくしたいと考えました。『約束の凝集』として三つ目の展示ですが、これまで暗い空間が続いていたので、バーンと明るくしようというのが一つ。また、安心して見られるようにしたかったですね。このスペースはただでさえ地下で怖いじゃないですか(笑)。もちろんαMを知っているような人は慣れてるでしょうが、初めて来る人は「本当にここで合ってるのかな」「喋っていいのかな」と、けっこう怖いと思うんですよね。αMの方々には失礼なこと言ってる可能性が高いですが、まあでもギャラリーってわりと怖いじゃないですか。

今回、いまインタビューしてもらっている小部屋を「待合室」という呼び方にしています。細かい話ですが、ウォーターサーバーをレンタルして設置したり、壁に時計を掛けたり、写真を壁に掛ける位置も、テーブルに座ったときに最適になるようにして、「ここは待合室で、展示室じゃないですよ」とだいぶアピールしてて(笑)。観終えたあとも、長居して好きに過ごしてほしいなって。

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──本当だ! どうりでアメニティが充実していると思いました(笑)。開始時間の決まった上映形式ですし、お客さんの待ち時間が発生しますもんね。

長谷川:映像の時間を固定するならそれくらいはしないとな、とふたりで話していました。あと『約束の凝集』全体の話で言えば、展示空間レベルでも作家同士の関係においても、各個展が少しずつ前の展示を引き継ぐような仕組みをつくりたいと思っていて。実際に黑田さんは一つ前の永田康祐さんの展示作品を1点、編集補助という形で手伝っているんです。

──まさに『約束の凝集』チームの共同作業になってるんですね。

長谷川:それぞれの展示がちゃんと個展として自立してるのは大前提です。でもそのうえで、完全に切り離されてる必要もないだろうって。仮設壁やスクリーン、あと台座なんかも過去二つの展示の再利用です。チームワーク的な意味ももちろんありますが、経済的な意味でも毎回それらを一からつくるのはもったいないじゃないですか。ちなみに、今回の映像上映や照明のプログラミングは永田さんが組んでくれてるんですが、もう一つ彼は大きな貢献をしてくれていて、待合室のこのテーブルは永田さんの映像作品に出てくるやつなんです。かわいくて、搬出のときに持って帰らないでと言って(笑)。

「待合室」では黑田さんと長谷川さんが選書した本なども手に取ることができる。実は隠しアイテムあり。
「待合室」では黑田さんと長谷川さんが選書した本なども手に取ることができる。実は隠しアイテムあり。

──参加作家たちの様々な痕跡が会場に張り巡らされているんですね。《友だちの写真》を見てから《部屋の写真》を見るという鑑賞の順序にはどのような意図があるのでしょうか?

長谷川:もともと《友だちの写真》は待合室で小さく見せようかという話もありましたが、結果的に二つを対になる形でしっかり見せた方がいいということになりました。

黑田:《友だちの写真》から《部屋の写真》という流れで見てほしいな、と。しかも、それを一つのスクリーンで交互に流すのではなく、自ら椅子を持って移動しながら回っていくような、上映と上映の間に少し動いて身体感覚を切り替える要素があったらいいと思ったんです。

来場者は自分で座るイスを選び、気に入ったポジションから作品を鑑賞できる。
来場者は自分で座るイスを選び、気に入ったポジションから作品を鑑賞できる。

──たしかにイスを持ち運んで移動することで、ワークショップの参加者のような気持ちになれました。また、用意された座席を選ぶのではなく自分で自由に鑑賞の場所を決められるから、コロナ禍での心理的に安全な距離も保てるし、ピクニックみたいな楽しさがある。最後に、「写真が始まる」というタイトルはどうやって決まったんですか?

黑田:実は、長谷川さんのアイデアなんです。タイトルはすごく悩んでいて、長い時間話し合った次の日に、「『写真が始まる』ってどうですか?」と連絡が来た。それで「いい!」と。

長谷川:最初の案では、写真集とかエッセイにあるような長いタイトルだったんです。でも、それは多分違うなと感じたし、やっぱり「写真」という部分を前面に出した方がいいと思った。子ども、動物園、ケアといった個別のトピックというよりは、これは「写真」の展示だと思いましたから。

──映像には、まさに「写真が始まる」瞬間が描かれていたように感じました。ありがとうございます。今後の『約束の凝集』の展示も楽しみにしています!

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PROFILE

黑田菜月(くろだ・なつき)
1988年神奈川県生まれ。2011年中央大学卒業。2013年第8回写真「1_WALL」にてグランプリを受賞。主な展覧会に、「けはいをひめてる」ガーディアン・ガーデン(2014、東京)、「わたしの腕を掴む人」ニコンサロン(2017、東京、大阪)、「友だちの写真」ギャラリーOGU MAG(2018、東京)などがある。また、2016年からは横浜市立金沢動物園にて毎年行われているメディアアート展「ひかるどうぶつえん」に参加。2019年には同園にて写真と映像のグループ展「どうぶつえんの目」横浜市立金沢動物園(神奈川)を企画した。

長谷川新(はせがわ・あらた)
インディペンデントキュレーター。1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒。主な企画に「無人島にてー「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」(2014、京都)、「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」(2015、京都)、「クロニクル、クロニクル!」(2016-17、大阪)、「不純物と免疫」(2017-18、東京、沖縄、バンコク)、「STAYTUNE/D」(2019、富山)、「グランリバース」(2019-、メキシコシティ)、「約束の凝集」(2020-21、東京)など。国際美術評論家連盟会員、国立民族学博物館共同研究員、日本建築学会書評委員、日本写真芸術専門学校講師、PARADISE AIR ゲストキュレーター、スタジオ四半世紀。

INFORMATION

約束の凝集 vol.3
黑田菜月|写真が始まる

会期:2021年3月16日(火)〜 6月5日(土)
開廊時間:13時〜20時
※4月27日(火)~5月11日(火)の間、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、開廊時間を午後12~18時に変更中。
休廊日:日曜日、月曜日、祝日
会場:gallery αM
入場料:無料
ゲストキュレーター:長谷川新(インディペンデントキュレーター)
特設サイト:https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2020-2021/vol3/

※今後も状況に応じて開廊日時の変更や入場制限を行う可能性あり(最新情報はギャラリーのWebページおよびSNSで更新)。
※GW中も通常通り日月祝は休廊。
※本展では、二つの映像作品を毎時00分と30分に交互に上映を開始する。毎時30分から上映される《部屋の写真》は途中入場不可。

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