Text:Akira KUROKI
Edit:Shun TAKEDA
広場としての劇場
17時過ぎ頃にひとり神奈川芸術劇場(KAAT)に着く。上演期間中に行けるのは、その日の夜の数時間だけだった。会場に入ると、中央の広場に20名ほどの若者たちが机に向かい、黙々とそれぞれなにかを書きつけている。その様子がリアルタイムで場内にプロジェクションされ、両脇の壇上になった構造物には大きなグラフィティーが点在している。
会場内を演者(そもそもそんな立場のひとが存在したのか)、スタッフ、観客が行き交い、その区別はあいまいだ。テレビっ子だった自分は、TBSの特番『オールスター感謝祭』の「休憩タイム」(出演者たちがスタジオ内の屋台に集う食事休憩のコーナー)みたいだ…!と、一人興奮していたが、それはさておき。
見ると、知り合いの女性編集者がメモを取りながら、演出家の高山明さんと話をしている。取材だろうか。自分は腹が減っていたので、会場内の物販でガパオライスを注文し、空いている場所に腰を下ろし食べはじめる。改めて会場を見渡す。この空間の緊張感と、妙な居心地の良さはなんだろう。
虚構のストリートが、町をつくり変える
高山明/Port Bにより、神奈川芸術劇場(KAAT)で上演された『ワーグナー・プロジェクト』は、ワーグナーによるオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』をモチーフに、劇場をストリートに見立てた舞台公演だ。
町人たちの歌合戦が繰り広げられ、⺠衆による新たな歌や芸術が生まれる過程が描かれる『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を、現代の「ストリートのオペラ」としてのヒップホップに接続し、サイファー空間として劇場を解放する。
”上演された”と言っても、9日間(6時間×9日間=54時間)にわたり、連日異なるタイムテーブルに沿って「ゲストライブ、グラフィティ、レクチャー、ワークショップ、MC バトルなどが同時多発的に展開」する本作は、必然的に大多数の観客が、”上演される”一部分しか見ることが出来ない。
実際に自分が見ることが出来たのは、6日目の菅啓次郎による「無言ライティング」レクチャーの一部と、柴田聡子によるライブのみだったが、たった数日間のうちに培われた濃い空気を体感するには十分だった。その日の終盤には、高校生と思わしき男の子たちのサイファーが、まるでどこかの駅前のように自然とはじまっていた。
わずか9日間のうちに、ストリートとして劇場が様々な用途で用いられ、人が集うことによって、現実のまち(=ストリート)に眠る可能性が、ひとつの光景として劇場に現れる。それがその場限り作品だとしても、虚構のストリートで行われた創作活動や、教えと学び、人々の有機的な交流は、現実のものだ。劇場を訪れた人々は、現実のまちに、その可能性を要請せずにはいられない。それはヒップホップでも、サイファーでなくても良いのだ。
『ワーグナー・プロジェクト』は、ストリートの1分の1の縮尺地図を作り出し、現実のまちへの眼差しを作り変えてしまう。と同時に、閉ざされた空間だからこそ、外の世界と積極的に接続することができるという、劇場の可能性をしめす、劇場論でもあった。
http://portb.net/wagnerproject