Text:Nao KIMURA
Edit:Shun TAKEDA
“公園の南のはずれに、このところようやく成木の風格をそなえて来た公孫樹(いちょう)があり、根元を囲んで円型にベンチが配列されている。その中の南向きの一脚が、いつの間にか、里方虎吉の指定席みたいになった”
本書はこんな描写から始まる。冒頭を読んだだけでは、これから世間を揺るがせた事件が起こるとは思えない。本田靖春著『誘拐』は、1963年に東京都台東区入谷で起き、当時世間を大きく揺るがせた幼児誘拐「吉展ちゃん事件」を取材したノンフィクションである。
こんなお洒落な媒体で、平成どころか昭和の事件に関する本を紹介することに遠慮がないでもなかったが、ひとつぐらいはこういう記事があってもいいかと、久しぶりに本書を手に取った。
オリンピック景気の片隅で
東京オリンピック開催を翌年に控えた1963年3月31日。当時4歳だった村越吉展ちゃん(以下、被害者)が公園に遊びに行ったきり行方不明となる。犯人の脅迫電話を受けて親族は身代金を用意するも、警察の失態により身代金は奪取され、犯人は取り逃がし、被害者は返されなかった。
捜査線上には小原保という一人の男が度々浮上するが、決め手がなく事件は解決の糸口を見失う。小原が自供したのは事件から2年後の1965年7月。小原が被害者宅に脅迫電話をかけた時には、すでに被害者は死亡しており、事件は最悪の形で終幕を迎える。小原は1971年に38歳で死刑に処された。
読売新聞社を辞した後も「生涯社会部記者」として、時代と人を見つめた本田靖春氏は、事件に至る一人ひとりの足跡をたどるように文字を刻んでゆく。その筆致は圧倒的で、ベテラン刑事の徹底的な聞き込みで小原のアリバイが一つずつ崩れていく様は、疾走する刑事の心臓のように、読んでいるこちらの鼓動も速くなる。
“憩(いこい)がピースに、焼酎がビールにかわるという、いわゆるオリンピック景気にわいていた” “軽く出された左のショートが、次に叩きこまれるであろう右ストレートの前触れであるように、この短い電話は捜査陣に、本格的な犯人のアプローチが迫っていることを予感させた” といった描写に何度もうならされる。
「これほど魂を揺さぶられたことはない」
本書を初めて手にしたのは今から10年ほど前。それまで本田氏の名前も知らなければ、ノンフィクションというジャンルを意識して読んだこともなかった。韓国旅行の道中で読む本を探していて、たまたま母親が薦めてきたのが本書だった。
『誘拐』というタイトルが大きく前面に配置されたカバー、情念のこもった手書き文字の帯文。ものものしいたたずまいに、やや怖気づいた。少なくとも楽しい読み物ではないだろうと思った。そんなわけだから、韓国へ向かう機内で読み始めた時には、さして期待していなかった。
しかし、旅行中、私の心は時として韓国ではなく1963年の東京にあり、犯人が育った東北の寒村にあった。犯人、親類、知人、被害者とその家族、刑事……。それぞれの線が徐々に絡まり、ある一点に向っていくのを、ページをめくる間を惜しんで読んだ。ノンフィクションなんて事実の記録にすぎないと思っていた私は、気づけば異国のホテルで涙を流していた。「これほど魂を揺さぶられたことはない」の帯文は本当だった。
蛇足だが、本書に感化された私は、後日「本田靖春ナイト」なるイベントを開催した。本田氏の没後も雑誌の特集や書籍の刊行を通して氏の仕事を紹介していた編集者と、読売新聞の現役記者に登壇していただいた。
加えて、1979年の放送以来、長らく再放送・ソフト化されていなかった本書を原作としたドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」(監督:恩地日出夫、主演:泉谷しげる)を上映した。あまりにも渋すぎる企画だが、それもこれも本書に出会わなければなかったことである。一冊の本が、時代を超えて一人の人間を動かした。
決して消えてなくならない
年が明けて2020年を迎えたばかりの1月。東京は至るところ再開発で真新しいビルが立ち並び、再び訪れたオリンピック景気にわいているように見えた。下町風情を残す場所もままあれど、本書に描かれた町の景色、一向に光の差さない寒村の暮らし、好景気からあぶれた人びと、その果てに起きた凄惨な事件、二つの不幸な死……これらの影を現在の町に見つけるのは、ますます難しくなるだろう。
一方で、当時と大して変わらないこともある。事件発生当時、(水鉄砲を持っていた被害者が公園の水飲み場から姿を消したことから)「公共の水を手前勝手に使うから、そういう目にあうのだ」と被害者宅に匿名の手紙を送りつけた人物がいたこと、犯人を装った被害者宅へのいたずら電話が後を絶たなかったことなどを読むと、人間の悪意だけは今も昔も変わらないのだと、自らを含む人間の浅ましさを痛感する。
“私は十六年間の新聞社勤めの大半を社会部記者として過ごした。そして、その歳月は、犯罪の二文字で片付けられる多くが、社会の暗部に根ざした病理現象であり、犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語であることを私に教えた”
(筆者あとがきより)
時代は移ろっても、本はいつでも当時の空気を、人びとの声を蘇らせる。本書が読みつがれるうちは、あの時代も、あの時代を生きた人びとも、決して消えてなくならない。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421548/
フリーランス
1988年生まれ。2010年上智大学文学部新聞学科卒。メーカー勤務などを経て、現在は美学校でスタッフを務めながら、個人で取材・企画などを行う。2015年、東京で「わたしたちのJR福知山線脱線事故──事故から10年展」を開催。司会、裏方、取材、執筆など、興味関心に応じて幅広くやっています。
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