Stripes of views ー好きになれないまちで生きていくー #01 「引っ越し」

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好きになれないまちで生活すること。気に入ったまちで暮らしたことがあればあるほど、そう思えない場所で過ごす日常は喪失感に苛まれる。それでもその土地で生きていくとき、何を見て、何を感じ、何を思い、どのように日々を重ねていくのだろう。好きになれないまちとは、どのような関係を紡いでいくのだろうか。

どこかアンニュイさや陽気さを感じる作風や色合いのイラストレーションやコラージュなどのビジュアルアート作品をつくるデザイナー・アートディレクターの八多沙織。アートブックとして国内外で発表される作品は、日本だけでなく海外の人々の心にも愛着を育む。

そんな八多は、好きだった東京から、2年経っても愛着をもてないアメリカのノース・カロライナ州に拠点を移し活動することになった。突然の引っ越しにより、「切り刻まれてしまった」ように感じる人生をつなぎとめるかのように、コラージュ作品をつくり、東京とノース・カロライナの生活を見つめるコラム。第1回目は「引っ越し」。

Text+Artwork:Saori Hata
Edit:Yoko Masuda

愛する木造アパートを離れる

いよいよノース・カロライナに引っ越す約1ヶ月前。
空っぽになり始めているアパートの自室を見わたして、思わず「なんてことをしてしまったんだろう!」と、叫びそうだった。

5年間生活した渋谷区本町の築50年の木造アパートは、いつの間にか私の愛着でびしょびしょに、ずぶ濡れになっていたんだと思う。
そしてその場所は私だけの棲家ではなく、私と家財たち、そして4年間一緒に暮らしてくれた2羽の文鳥の場所でもあったのだ。

文鳥たちのお気に入りの遊び場だった壁づけの本棚を取り外した時、「ああ、彼らのお家をこんなに台無しにしてしまった、彼らからお家を奪ってしまった」と、ひどい罪悪感に襲われた。
同時に、自分の中の喪失感でも苦しんでいたんだと思う。実家を出る時も、大学時代のルームシェアの家を出る時も、前向きな気持ちだったのに。あんなにも喪失感と後ろ髪引かれる思いが湧き出してくる引っ越しははじめてだった。

「仮住まい」だと言い聞かせて

私がアメリカにいる間、2羽の文鳥には実家の母の元で暮らしてもらっている。

文鳥達がいつも遊び場所にしていた本棚や、そこに置かれたお菓子の箱でできた彼らの別荘、滑り台のようにスススと器用に滑って遊んでいた鹿の角の壁飾り。
彼らにとってきっと愛着があるだろうと思われるものは全て実家に設置しなおして、文鳥達ができるだけ早く、新しいお家を好きになってくれるように努力はした。

それでも文鳥達は、私のアパートにあった時とそのままの状態で運び込まれた自分たちの別荘に再び入って遊び始めるのに1年かかった。何か受け付けられない気持ちがあったのかもしれない。
文鳥達に関する物を実家に運び込んだら、彼らはショックを受けるかもしれないな、と思った時がある。あの住み慣れたアパートにあった彼らの持ち物が全て移設された様子を見たら、文鳥達はもう二度とあの慣れ親しんだ渋谷のアパートに戻ることは無いのだということを察してしまうかもしれない。
私はなんだかそれが嫌だった。

あんなにお気に入りだった別荘をじっと見つめこそすれ、頑なに入ろうとしない文鳥達の様子を見て、良かれと思って実家に運んだ彼らの別荘のことを後悔した。

「文ちゃんたちの別荘はね、元のアパートにおいてあるよ、私がアメリカから帰ってきたら、また元のアパートに帰ろうね」
そんな雰囲気を演出した方が、彼らは新しい生活を受け入れられただろうか。

実は私は、いくつものお気に入りの家財を東京の実家に半ば無理やり置いてきた。
大学生の頃から使っている作業台、ちょっと背伸びして買った上質な姿見。
愛着のあるそれらをアメリカに持ち込まず実家においてくる判断をしたのは「アメリカは仮住まいにすぎない」という自分の気持ちを支えるためだったのだと思う。
大きな覚悟や決心を持ってアメリカに飛び立ったつもりだったけど、全然そんなことなかった。いつか帰ってくるからと、東京が自分の本当の居場所だと思っていられるために必要なものをたくさんおいてきている。

そして私は1年半以上、アメリカで新しい家財を買うことを避けながら暮らした。買うとしても安くてどうでもいい、自分が好きじゃないものを買った。いつでも捨てられるように。

それでもこのまちで生きていく

ひどい後悔や喪失感を感じたあの引っ越しの日、引き返していても良かったのかもしれない、と実は今も思っている。

「ごめんなさい私はやっぱりここで暮らしたいのでアメリカにはいけません」
先にアメリカで住まいを構えて、1人で私を待つ夫に、そんな電話をかけていたら今頃私は日本でハッピー! だっただろうか?

しかし、実はもう私が住んでいたアパートは取り壊されてしまっている。私が愛していたオンボロアパートは、同じ名前だけれど家賃が5倍以上する高級アパートメントに建て替えられてしまった。
だからどちらにしろ、「今もあのアパートに住み続けていた自分」は存在しなくて、それは少しだけ心の救いになっている。どうあがいたって、あの場所に帰ることはできない。だからまあ、もう少しアメリカにいてもいいか、と。

いつまでも未練がましく渋谷区の賃貸情報を見ながらアメリカで暮らしている私は、自分の気持ちに嘘をついていることになるんだろうか。
大好きで愛着のある街に暮らすことが「自分に正直に生きること」として褒められることに当たるのだろうか。

「あーあ、ファミマの助六寿司が食べたい」「日本の全てが恋しい」と思いながら、でも少しずつアメリカにいる目的を見つけるために愛着の持てないこの土地で頑張ることは、方向を間違えた努力なのかな。
そんなふうに悩んで眠れなくなることもある。

もう少しアメリカで頑張ろう、もう少し、もう少し、そんな風に過ごすうちにアメリカでの人生が進んでいって、日本での生活が遠く後ろに流れていって、今ほどの帰りたいって気持ちもなくなるのかもしれない。まあこの場所も悪くないかと思えるようになったら、私にとってはきっと良いことなんだと思う。
でもそれが、前に進むっていうことなのか、それとも折り合いをつけるということなのか。
どちらの方が正しい呼び方なのか私にはまだ想像がつかない。

八多沙織 / HATA Saori
Instagram :@saori8ta
HP:saori8ta.com
グラフィックデザイナー、アートディレクター。2022年から個人で制作した作品発表を開始、2023年からアメリカノースカロライナに拠点を移し、制作活動を行っている。
国内外のアートブックフェアに多数出展。

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