佐賀県武雄市で、武雄温泉エリアを拠点に「TAKEO MABOROSHI TERMINAL」を運営する株式会社まちづクリエイティブと、家庭用食器から割烹食器に至るまで、幅広く華麗な陶磁器を佐賀県有田市で焼き続ける創業150年の老舗窯元・幸楽窯。そのコラボレーションプロジェクトとして始動した「転写民芸」。幸楽窯の持つ伝統と技術を用いて、様々なアーティストやクリエーターが有田焼に絵柄を転写するこのプロジェクトは第2弾となる。
本特集で話を伺うのは、東洋思想や日本的信仰の考え方とデジタル上の世界を近いものと捉え、3DCGやピクセルアニメーション、3Dプリント、VR、NFTなどのテクノロジーを使用し、作品を制作するアーティストのたかくらかずきさん。佐賀県武雄市のまちづくりプロジェクト・TAKEO MABOROSHI TERMINALにも関わるなど、以前から佐賀県武雄市に滞在したことのあるたかくらさんは、「転写民芸」には2度目の参加となる。本取材はたかくらさんの個展「みえるもの あらわれるもの いないもの」の会場・NEORT++で、現在たかくらさんが考える「転写民芸」の取り組みの可能性について、話を伺った。
Text: Yoko Masuda
Photo(Interview):Keitaro Niwa
Edit: Moe Nishiyama
「みえるもの あらわれるもの いないもの」
──転写民芸の第1弾では、日頃デジタル環境で作品を制作されているたかくらさんが、陶器という物理的な存在を制作する理由として、「デジタルにとどまらず、形のあるモノとして保存することが重要である」とお話しされていたことが印象的でした。今回の個展「みえるもの あらわれるもの いないもの」では「形のないもの」を扱われていますが、その背景からお話を伺っていけたら幸いです。
「みえるもの あらわれるもの いないもの」の内容を意訳するなら「AI妖怪召喚祭り」。今回個展を考えるにあたり、「展示」を作家と鑑賞者、そしてAIが共同し、新たな「妖怪」を展示会場に召喚する「儀式」として考え設計したものになります。
PCに格納されているデジタルデータと、墓というボックスにおさめられた魂。これら2つは、外から内にあるものに触れることができない状態であるという意味で極めて似た構造を持ち合わせていると感じています。以前から、デジタルデータと日本における神仏は近しい存在なのではないかという思いがあり、「NFT BUDDHA」など仏教をテーマにしたNFT作品を制作してきました。日本では、よいことが起きると「神仏」の恵みだと言われますが、都合が悪いことやよくわからないことはだいたい「妖怪」のせいにされてしまう。今回はそうした目に見えないものごとの「陰」を担ってきた「妖怪」を軸に、その存在の生成にフォーカスした展示になっています。
「存在しない存在」としての妖怪が目に見える。見えるんだけどいない。あらわれるんだけどいない。いないけどあらわれる。そうした一見すると相反する要素を持ち合わせた「妖怪」の不可思議さを同時に表したいと思い、ミックスするようなイメージでタイトルを「みえるもの あらわれるもの いないもの」にしています。
──作家と鑑賞者、そしてAIが共同し、「妖怪」を展示会場に「召喚」するということについて、具体的にはどのような仕組みで展示が構成されているのでしょうか。
AIは一定の数列を持つプログラム言語による指示を実行する形で、データを生成します。そこで今回はプログラムを実行する言語として「俳句(川柳)」を軸に考えることにしました。展示会場では、すでに完成されたデジタルデータを展示するのではなく、鑑賞者が展示会場のモニター上に並ぶ単語を選ぶことで「俳句」(プログラム言語)をつくり、その結果、AIによって自動生成された「妖怪」が呼び出され、「召喚」されるという形になります。
──ここでプログラム言語としての「俳句」は鑑賞者の分だけ作られる、ということですね。背景では実際に目に見えない部分での仕組みの制作がなされていると思うのですが、展示自体はどのようなプロセスを経て作られたのでしょうか。
2022年の11月ごろからAI開発者の神田川雙陽さんと定期的にミーティングを重ね、文学的な要素の専門家として俳句は編集者の武田俊さんに相談し、NFT関連のプログラムと会場のアプリケーションや展示用プログラムは会場となるギャラリー・NEORT++のNIINOMIさんにお願いしています。会場の舞台美術は現代美術チーム「カタルシスの岸辺」と一緒に制作しました。
プログラム言語としての「俳句」を制作する上では4つのフローを組み、個人の意図や誰が作ったのかといったことを特定できないようにしました。まず僕と武田さんで連句(5・7・5)を108種類出し、その俳句を(5・7・5)の3つに分解し、〈108 × 3 = 324〉ワードにします。次は鑑賞者が介入し、鑑賞者が324ワードのなかから自由に言葉を選択し、俳句(5/7/5)を作ります。その後ChatGPTがその俳句をもとに50単語の英詩に変換し、僕のオリジナルとなる妖怪の形や表現のテイストを学習した画像生成AIが妖怪の画像を作成。人間が2回、AIが2回関わりひとつの画像を作ることで、人間による決定なのか、AIによる決定なのかを特定されないよう、比重をフラットにしたいと考えました。
──今回自動で生成される妖怪の前身となっている、たかくらさんの妖怪コレクションについて。「妖怪」という目には見えない存在に形を与えるとき、具体的にはモチーフが存在するのでしょうか。どのように「形」を発想されているのか気になります。
僕の妖怪シリーズには、かっぱやろくろ首、塗壁など具体的な妖怪のモチーフが現時点で40体ほどあります。今回の展示ではこのコレクションをAIに学習させているため僕の妖怪にどこか似ているけれど、見たことのないそれらのもつ要素の組み合わせが俳句によって変更されることであたらしい妖怪が生成されているんです。
また、以前から考えているトピックではあるのですが、「AIによって生成される絵画」は「シュルレアリスムの絵画」に近しいものがあると感じています。そもそも「シュルレアリスム」とは、フロイトの精神分析理論を背景に、深層心理にアクセスすることから無意識を表面化し、無意識と理性との一致を目指した芸術運動として知られています。当時は睡眠中に見る夢が自分の無意識という内的世界を表しているなどとされていましたが、現在はインターネットを介して人類全体のあらゆるアーカイブを常に学習しているAIが人間の集合的無意識を表しているともいえるわけです。そうした現代における「シュルレアリスム」を再考するような心持ちで表現方法を検証しているところがありますね。今ってAIに仕事が取られるとか人間の方ができることがあるとか、どっちがすごいかという議論が多いなと思いますが「選択をする装置」でしかないのではないかなと。ポストヒューマニズムもそんなに悪いものではないと考えています。
──空間で展示を鑑賞する体験と、インターネット上でNFTを通じて生まれる売買の体験。同じく「作品」という媒体を通じて発生するコミュニケーションですが、たかくらさんにとって双方はどのように接続しているのでしょうか。
僕にとってNFT作品を買ってもらうことは古典的な画家とパトロンの関係性に似ています。フィジカルなアートピースとは異なり作品をやりとりする際に介在するギャラリーがない分、作品を購入する人との間に直接の取引が発生します。NFTを販売する際に、手伝いをしてくれているサポートメンバーが3人いるのですが、彼らはもともと初期の頃の僕のNFTを買ってくれていた人たち。買う側と売る側というような明確な立場の境界線がなく、作品を「所有する」ということは株主っぽくもある。だから、持っている作品をよりよくするために一緒にサポートしてくれたりするんですよね。
NFTに慣れ親しんでいないひとからすると、どこか難しそうなものとして捉えられてしまうのですが、実際にやっていることを喩えるなら、村のフリマのようなシンプルさです。できあがった作品を「これできたよ」と出品する。また、NFTの制作にはあまりお金がかからないので日々制作することが可能です。デジタルデータをNFT化することをミント(Mint)というのですが、ミント(Mint)は日本語に訳すと「鋳造」の意味。転写民芸に関わらせていただく中で感じたのは、粘土から捏ねた柔らかい器を釜にいれて焼き上げることでものとして完成させる作業に似ているかもしれないなと。NFTの価格帯も5千円から2、3万円くらいのものまであり、陶芸品に近いような気もしますね。
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