「SSS」での実験が、まちづくりの実践へ
──もともと敷浪さんたちは池上に縁はあった?
敷浪 実は全くないんです。でも、荻野さんが「SSS」の活動のすごく芯の部分を認めてくれたというのが、僕はすごく嬉しかったのを覚えています。もともと、3人(L PACK.と敷浪)で結成して「SSS」をやるときの根底のコンセプトが、この場所のあり方に近いんです。
小田桐 このプロジェクトのために新しく考え方をつくったというより、もともと持っていたものを、ここに当て込む整理をしたっていう感じだったから、スムーズに行ったのかなという気がしますね。

敷浪 「SSS」は実験場です。「次の何かのためにあそこはやろう」って言ってもともと始めました。だから、この話をもらったのは、ある意味では予定通りではあって、「あっ、やっと来た。これは絶対手に入れないと、次に進めない」と思ったんですね。
「SSS」がある横浜の八反橋フードセンターも「いつ壊されるの?」みたいな状態のところを、僕らのあのスペースがきっかけで、「あそこの場所はあれじゃなきゃダメだよね」って思わせるということが狙いでした。
そういうハードとソフト、箱の部分と中身の部分が、今まで乖離しているのが建築業界だったんです。L PACK.もベースは建築にあって、学生時代からそこに疑問を持って、「空間は使うものでしょ」っていうところだけに特化してアーティストになっている。僕も建築をやりながら、どう使うかっていうことをずっと提案してきて、大御所に全く相手にされなかったっていうことを繰り返していて(笑)。

敷浪 だからこの話をもらったときは、「やっと企業も俺らのとこに追いついてきたな。やっぱりその第一号は東急だったね」みたいな話もしたような記憶があります。まちづくりの会社の中では、東急は先を走っているのかなというような。
荻野 個人的に「SSS」の一ファンだったんです。だから「池上にSSSが出来たら、嬉しい!」という個人的なモチベーションからスタートして、どう彼らを池上エリアリノベーションプロジェクトが求める人材だと説明できるかが課題でした。ただ好きだからでは個人的なプロジェクトになってしまう。
そこに彼らがしっかりと、こちらの要望にも応えてもらうかたちで「WEMON PROJECTS」というプロジェクトを提案してくれました。はたから見ると私が個人的な趣向に走ったという見え方は一切してないと思います。
加えることで生まれる多様な余白
──荻野さんにとって「SSS」の魅力はどんなところだったのでしょう?
荻野 例えば、「SSS」で提供しているりんごジュースにはいろんな種類があるんです。私が子供を連れて行った時に、子供でさえも楽しむ選択肢がある。多世代に向けて日用品をセレクトし、本当にいろんなものを扱っていて、「ここははじかれる人がいないんじゃないかな」と思ったのが、魅力として印象に残っていて。
「まちづくり」と言った時に、やはり多種多様、多世代の人たちと対話するので、彼らなら、自らのスタイルを持ちながらも、多様な人たちが居心地の良い空間をつくってくれるんじゃないかなと思っていました。
敷浪 それを僕らは「余白を残す」という言い方をしています。空間をデザインしていくときに、一般的には余計な部分をそぎ落とし、すっきり見せていく手法を取るんですけど、僕らは加えるんです。
それは細かな一個一個の小物全部にも関わってくるんです。いっぱい加えて整えてっていうやり方をしていくと、見る人が見たら「なんでも揃ってるね」って思うし、ある人は「すごいこだわってるね」って思う。そんな工夫が、訪れる人の見え方に多様性をもたせることにつながっているかもしれないですね。
会話から発掘される地域資源

荻野 すみません、「SSS」の魅力、もう1つ言いたいことがあって。「SSS」で敷浪さんと初めて会った時だと思うんですけど、その時に僕はアートブックを本棚にしまうんじゃなくて、部屋に飾りたいと思っていたんです。その什器が欲しいって敷浪さんに話したんですよ。
そうしたら敷浪さんがその場で、なんなら僕が作りますよくらいな感じでアイデアを出してくれたんです。何が言いたいかというと、お店に行って、誰かと会話をするっていうのが今は珍しい体験だと思うんです。普通は買って、レジ打っておしまいじゃないですか。
「SSS」ってすごく会話ができる場所だなあっていうのが印象に残っていて。それはまちづくりに関しても、よく働くことなんじゃないか。そんな感覚がありました。
敷浪 その時は、L PACK.の二人もいなくて、僕は荻野さんが何者かも知らずに、たまたま対応してたんですね。よく喋る人だなと思いながら(笑)。
僕らはもともとないものは作ればいいよねっていう感覚なんです。そういう人と、実際にお客さんが来る窓口との接点が世間にはあまりないんだけど、「SSS」はちょうどその接点になっていて、だから感激してもらえるのかな。「こんなのが欲しんですか? 売ってないんですか。じゃあ作りましょうか」という感じとか。
小田桐 確かにそうかもしれないね。
荻野 実際にそんなやりとりがこの場所でも起こっている。街の人からすると、多分新鮮だと思うんですよね。「ないものは作ればいい」という彼らの価値観があってこそ生まれる対話が、この場所の肝になってると思うんです。
それはこのカウンターを中心にした設計にもつながっています。会話が自然と起こるし、他の店にない彼らの武器が活かされる。
プロジェクトとしては、地域の資源を再発掘して、再発信して、再接続していく、という3段階のうち、「再発掘」の部分をこの場所ではかなりやってくれている。さらに、フリーマガジン「HOT SANDO」と、ウェブの「NEWSANDO」で、再発信もしてくれている。
荻野 3つの要素のうち2つが「WEMON PROJECTS」によって完全にフォローしてもらってるなという感じがあります。特に発掘の部分って、お金をかけて委託して「はい、お願いします」とはなかなか進まないところで。ここでの会話で地道に堀り起こしてもらっているところは大きいです。
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