ミュージシャンである傍ら、映像ディレクターとしても活躍するVIDEOTAPEMUSIC。失われつつある映像メディアであるVHSテープを全国各地で収集し、それを素材に音楽や映像制作を行なってきた。作家の制作姿勢を伺った前半に引き続き、後半では6/5に発売された5th Album『Revisit』の話題を中心に話を聞いた。聞き手は、東京・高円寺で<記録>をめぐる書籍などを扱う「ヤンヤン」を営む城李門。記録されたプライベートな叙述や表現を現代においてどのように読み解き、再利用することができるのか、作家の表現を通して考えるべく今回のインタビューが実施された。
Edit:Jumpei Itoh
Writing:Rimon Joh
Photo : Nana Takashima
Location:YanYan
〈前篇〉はこちら
近年では日本国内の様々な土地を題材にしたフィールドワークを行いながらの楽曲制作を行なうVIDEOTAPEMUSICが、滞在制作で訪れた館林(群馬)、野母崎(長崎)、須崎(高知)、塩尻(長野)、嬉野(佐賀)の各地を再訪(=Revisit)し、再レコーディングを行い再構築した楽曲群に加えて、多摩湖を題材に渋谷WWWで開催した自身の単独公演「UNDER THE LAKE」(2023 年12月開催)のために書き下ろされた新曲2曲、さらに高知出身で須崎での滞在制作の経験もあるoono yuuki(大野悠紀)、長崎出身のアーティストAkito Tabira という須崎、野母崎に縁のあるアーティストによるRemix トラック2曲をコンパイルした全9曲収録のアルバム。
音源(カセットテープ)と共に、各地での滞在制作ー再訪の際の日記などが収められた全160Pの書籍をパッケージした“カセットブック”として発行された。
1. Tamako
2. Tatebayashi
3. Nomozaki(feat. 角銅真実)
4. Susaki (Flotsam)
5. Shiojiri
6. Ureshino (Cha Cha Cha Dub)
7. Goujyou Jima (強情島)
8. Nomozaki (Akito Tabira Remix)
9. Susaki (oono yuuki Refloat Mix)発行:カクバリズム
発行年:2024年
サイズ:188 × 104 × 35mm
内容:TAPE(46min)※ダウンロードコード付属
BOOK(表紙+本文160P)
◎『Revisit』が生まれた背景
ーー今作『Revisit』は、直訳して「再訪」という意味があるように、全国5カ所を作家が再訪し曲制作を行なった成果の結集したアルバムとなっています。全国各地をフィールドワークしながら作品制作を行なう近年の制作スタイルについては前篇でお伺いしましたが、具体的に今作を制作するきっかけはどういうものだったのでしょうか。
VIDEO:2020年以降コロナ禍の影響もあって、アーティスト・イン・レジデンスというある地域に滞在し、土地を題材に作品を制作する企画に呼ばれることが何度かあり、それで複数のプロジェクトに関わりながら曲や映像を作っていました。すごく面白いものができたこともあれば、コロナの影響で発表ができなかったものもありいろいろな結果になったんです。そこで、改めて自分でもう一度滞在した場所へ行って、滞在して、改めてその曲を作り直すことで一つの作品にまとめたい、ということが最初のアイデアでした。
ーー今回の作品ですが、フィジカルではカセットテープに曲が収録されています。特徴的なのは、このパッケージそのものがちょうどVHSのサイズになっていて、そして書籍とポストカードも同時に収録されています書籍には、全国各地を再訪した際に残した記録や日記が収められています。今回、このカセットブックという形式を採用したのはなぜでしょうか。
VIDEO:もともとカセットテープで出すとは決めていなくて、音源と何らかのテキストを合わせた形で出すのがまずアイデアとしてありました。そこで、滞在中に僕がずっと書き溜めていた日記をベースに、抜粋やアレンジを加えて豪華なブックレットを付録する、ということを構想したんです。それをTISSUE inc.の桜井祐さんに伝えたら、作品の内容的にこの日記はそのまま全部載せるべきだと言ってくれました。とはいえ、日記全てを収録して、さらに登場する固有名詞に桜井さんが注釈として具体的な説明をつける構成にすると、注釈だけでも3万字ぐらいになって膨大な文章量になる。160ページ超の、もはや音源のブックレットレベルではないものになるので、一層本として構成することを意識しました。それで本と音源をどういうパッケージで出すかを模索していたときに、かつてカセットブックというフォーマットが80年代に流行していたことをふと思い出した。さらに僕はVHSを素材にして作品を作るので、時代的にもVHS全盛期と80年代が重なるという背景もあって今回の作品の形式として採用しました。
――いまインスピレーションを受けたとおっしゃっていた80年代当時のカセットブックも、カセットテープにプラスして文字ベースの創作物が作用し合うという関係のものが多かったのでしょうか。
VIDEO:例えば音楽だと、細野晴臣さんの「花に水」が最近再発売されて有名ですし、いろいろなインディーズバンドがその形式で発行しています。そのほかにも僕が持っているのは、サバンナのフィールドレコーディング音源にその説明がついているものがあったり、学術的なものも存在します。書籍に合わせて朗読音源が付属したものもあって、80年代に割と発行されていたようです。
――音声だけを聴くのではなくて、プラスで何か補完する情報があると、それらが補い合ってより作品理解を促す、という分かちがたい存在としてカセットブックがあるんですね。今回の作品も、音源を聴き、本を読むという往復行為の中で、音自体が持つ情報に対して、その出所の参照を本の記述に求めることができる。ある種の解説のような機能も果たしているのだと思います。それにしても、この日記自体の情報量がすごく多いですよね。
VIDEO:そうですね。編集の桜井さんの「全部カットしないでいきましょう」という提案でそうなったのですが、最初は日記をそのまま読んでもらうという想定では書いていなくて、あくまでその後の曲制作のためのメモとして経験したことをただひたすら書いていました。
――なかには少し笑えるような記述もあります。例えば、「訪れた場所で昼食に食べた白身魚のフライが小さすぎるのではないか」と訝しるあたり。
VIDEO:ああ書いたのは若干反省しているんですけど(笑)。港の食堂に行って魚フライ定食を頼んだら、白身魚フライが小さすぎたという。「こんな小さなフライじゃ、港の男たちの胃は満たせるのか?」ということを書きました。ただこのあいだ長崎へ行った時にふと思ったのですが、結局僕はその事実を知らなかっただけで、お腹いっぱい食べたい常連客は多分それを頼まないわけですよね。それは自分が部外者だからで、みんなが頼まないものをたまたま僕は頼んでしまったに過ぎない。ちょっと書き方を反省しようと思いました。
――たしかにそういう経験は起こりえますよね。実は地方での掟のようなものや暗黙知がその場所にはあって、そこに飛び込んでみると不満に思うことも、向こうにとっては当然のことだから仕方ないというような。それは実は、VIDEOさんの制作にとって再訪が持つ重要な意義なのかもしれません。なにも知らない状態で、その土地を題材に作品を作れるのか?という問題にも繋がってくるような気がします。
VIDEO:そうですね。なにも知らないで1回訪問するだけでは、魚のフライが小さいことすら分からないけれど、再訪すれば「次は違うものを頼もう」とか、知り合いに何がおすすめとか聞いたりできる。それだけとっても再訪する意味が見えてくるような気がします。
◎音楽のなかで生まれる「再訪」
――そういう意味では、数々の場所を巡っていくなかでいろんな方の助けを得てだったり、例えば定食屋さんに入った時に、そこの方にお話を聞いてすごく丁寧に食事や場所のことを教えてくれるという経験もあるかと思います。また、誰かと行動を共にしたり、水先案内人のような土地を案内する方と行動することもあったようですが、なかでも高知県・須崎の日記では大野悠紀さんという、彼自身もミュージシャンにして高知出身の方が登場します。そして今回の『Revisit』においては、VIDEOさんが作られている「susaki」という曲に加えて、さらに大野さんがリミックスしたバージョンが同時に収録されている。そんな中でこの冊子には大野さんも寄稿をされていて、それによれば「VIDEOさんは須崎で集めた古いホームビデオの映像と音から今作品を作り上げましたが、作業中、私と同年代かもしれない子供たちの声や、私の祖父母くらいの人たちの声を聞いていると、自分自身も高知出身であることも相まって、記憶が思いがけない回路と接続して、頭の中で小さな火花がパチパチと音を立てるような不思議な気持ちになることが多々ありました」とあります。それで今回のリミックスには、かれが須崎で滞在中に録音した様々な音も使われているということですね。このように、VIDEOさんがこの土地を訪れて収集したVHSからの音や、フィールドレコーディングの音から記憶が引き出された先のリミックス制作だったということなんですが、今回の大野さんのリミックスを聞いてVIDEOさんはどんなことを感じられましたか。
VIDEO:大野悠紀くんのリミックスはすごく良かったですね。今回、大野くんとAkito Tabiraさんという2人のアーティストによるリミックスが収録されています(記事冒頭参照)。大野くんは高知出身なので「susaki」をリミックスしてもらい、Tabiraさんはいま長崎に住んでいるので「nomozaki」という曲を。それぞれの土地とゆかりのある人に、その土地で作った曲をリミックスしてもらいました。どちらも聴いたとき、それによって本当に作品が完成した気がして、すごく感動しています。最初はなんとなく、その土地にゆかりのある人が制作したリミックスを入れてみるというアイデアがあったんですけど、それがはたして作品の中でどういう役割を持つのかというのは全然考えていなかったんです。ただ実際やってみると、アルバム作品としての流れができた時に、最初に僕のオリジナルバージョンが入っていて、アルバムが一通り終わった後にリミックスを聴くことになる。そのリミックスでは、アルバムの前半で入っているオリジナルバージョンで使われたものと同じフレーズが、2人のリミックスの中に現れてくるわけです。そうすると、アルバム1枚の中でも再訪という行為が行われているとも言えて、アルバムのやろうとしていたコンセプトがさらに見えてくる気がしました。しかも高知に滞在して僕なりの目線で見たその街を、さらにその土地で生まれた人がまた違う視点で見るから、誰かの一方的な印象だけではなくて、作品の中での街の印象がもっと複雑に交差していく様子を表現できて、本当にリミックスを収録できたことが良かったと思います。大野くんも本当に素晴らしいミュージシャンなので、同じ素材を使っていても、やはり大野くんの音になっているんですね。大野くんが高知で録音した素材も使われているので、まだ消化しきれないぐらいのすごく複雑な音のやり取りがその中で行われているのが面白いと思います。きっとまた、高知でのライブで大野くんと一緒にこの曲を演奏する展開もあると思うし、そうなった時にさらに複雑なことが起こるのではないかと、自分でも先が読めなくてすごく楽しみになりました。
――アルバムの中でも再訪という現象が起きているように、その曲に向き合うことが、自分にとってゆかりのある土地に向き合うことと同じこととなっていて、新しく関わりを理解し直すというのが、自分自身の過去を理解し直すきっかけにもなりますよね。
VIDEO:そうですね。しかも音楽の面白いところは、それを演奏することによってその場限りの現象になる。そしてまたこの曲を持って高知に再訪してライブをするという連続性があるのだと思います。だから、これで作品が完成するわけじゃなくて、ここからまたさらにどうなっていくのかという展開が楽しみですね。
◎「再訪」すること、日記というメディアを通じて発見するもの
――また再訪というテーマに戻ると、今回の作品では全国5カ所の土地が取り上げられ、さらにもう一つ、東京の多摩湖という作家にとって重要な存在がモチーフとなり曲制作につながっていますが、それぞれの土地へ再訪することで、最初に滞在したときと繰り返し訪れたときとで土地へ対して異なる印象を抱くことがあると思うんですね。土地への印象がアップデートされていく。また、それによってフィールドレコーディングの志向も変わるかもしれません。再訪することで、街に対しての見え方がご自身で変わったポイントだったり、どこか制作に向かって原動力となった具体的なポイントはありますか。
VIDEO:再訪した時に、かつてあったものが短い期間の中でなくなってしまうこともあります。たとえば長崎・野母崎の廃校で録音した音もあるのですが、最初に行った時にあった音楽室のピアノが処分されてしまって次に行った時には無くなってしまっていました。他にもコロナ禍を経てお店が潰れてしまっていたり、繰り返し訪れることで場所ごとでいろいろな差が見えてきますね。再訪するまでに、その場所で流れた時間を実感することもすごく多かったです。行くたびに印象が更新されていたり、場合によっては住んでいる人も変わってしまっている。逆に新しくできたお店や場所もあるし、風景は常に変化していくものだというのは特に強く実感しました。
――日記にもその実感はよく表れていると思います。日記の話でいうと、私が読んでいて面白かったのは、VIDEOさんは行く土地ごとに、ジンギスカンや肉を中心とした食事をたくさんしていることです。すごく肉料理を食べる(笑)。日記を通して、行く土地やそこで起こる出来事や経験は違うけれど、VIDEOさん自身のベースというか、変わらなさみたいなものがあるように感じられました。つまびらかに1日のたくさんの出来事が書かれているので、読む側からしたら知らない土地だから文字を追うごとに混乱してくるんだけど、VIDEOさん自身はしっかり毎回定食で肉料理を食べている。だから、その土地の情報だけではなくて、著者の人間らしさとか性格がわかるんですよね。その対比が面白いです。
VIDEO:それは客観的に読んでいただいていることならではだと思いますね。無意識にどの土地でもやってしまう自分の中のルーティンみたいなものは確かにあるのかも。
――注釈も日記の複雑さを演出するのを手伝っているのだと思います。
VIDEO:日記を書いていた当時は人に読ませることを意識せず、固有名詞もそのまま書いていて、とはいえそれを加筆修正して説明を加えてしまうと日記の生々しさが薄れてしまうから、注釈は日記の中で説明せずに別につけました。桜井さんが歴史もたくさん調べてくれて、なにげなく行った、別に何かをしたわけでもない神社の説明も歴史を踏まえてすごく書いてくれたので、僕自身も勉強になりましたね。
――読む側にとっては状況を理解しやすくなるきっかけにもなるし、とはいえ、とんでもない歴史のある寺院があるんだということは注釈で分かりつつどうしてもわからない情報もあったりして、そういうことこそが再訪することでしか見えない景色なのかもしれないと思いました。
VIDEO:たしかに、注釈の書きようもない謎のものが結構あって、たとえばミャンマーのロヒンギャのミュージシャンも、注釈をつけようにも日本では全然知られていないから情報がない、ということがありました。
◎土地との関係性により変容する記録手法。土地から“素材”を抽出する過程について
――再び訪れて経験すること、発見することがたくさんありますよね。VHSを発見することもあれば、たとえば群馬県・館林でもブラジル発祥の音楽に出会ったりするように、新たに音楽を制作するにあたって素材になる発見がたくさんある。そういう状況をご自身で録音することもあると思うのですが、実際の曲制作にあたって、その音たちはどのように曲に取り入れられるんでしょうか。
VIDEO:今回の曲のコンセプトとしては、いろいろな土地で見てきたものをあまり整理せず、混沌としたまま曲の中にできるだけ詰め込む。だからといってうるさい音楽じゃなくて、情報量が多いけれど静かな音楽を作る、ということは意識しました。聴き流そうと思えば聴き流せるけれど、本を読んでからもう一度聴くと、音の由来がわかるような。聴き手の態度次第で音楽の情報量が減ったり増えたりするような、文章とセットだからこその複雑な構造のものをやってみようという思いはありました。
――たしかに、たとえば音楽の場合は、一つの時間軸の中で音の情報がレイヤーとして積み重なっていくものですよね。複雑な音の中でも、最終的に一つの終着地点へ落ちていくというような閉じる指向性があるとしたら、本の場合は、逆に読み進めていくごとに思考が開いていき、解釈の余地が広がる。その二つは相性がいいというか、お互いがお互いを補っているような気がしました。
VIDEO:カセットブックの面白いところだと思います。
――制作過程のことも少し聞かせてください。いろいろな場所を訪れることが、VIDEOさんにとってはVHS収集やフィールドレコーディングも兼ねていて、さらにプラスしていろいろなお話を聞きに行ったり、図書館に行って郷土資料を収集するということが収録された日記にも載っています。たとえばリサイクルショップの店主のおじさんと積極的に話したり、食材を調達するときに店員さんに周辺地域についてヒアリングをすることなどですね。そのようなコミュニケーションや関係性作りは、意識的に行っているんでしょうか。
VIDEO:そうですね。そういう機会があれば積極的にいろいろ話していますが、一方でフィールドレコーディングは1人で行うものです。第三者がいるとできないというか、じっくり1人で景色と向き合うという時間でもあるから、その土地の音を客観的に見つめようとするようなフェーズもあって、人との関わりはその都度で変わるものだと思います。
――具体的に、フィールドレコーディングがどういった形で楽曲の中に落とし込まれていくのかということを訊いてみたいと思うんですが、たとえば楽曲制作にあたってはある程度の見通しや計画性があって、そこへ向けて素材をどんどん収集していくようなイメージになるんでしょうか。
VIDEO:僕の場合、素材を使う/使わないを考えるのはすごく後回しで、こういう曲を作るからこういう音が欲しいみたいな設計図は、あらかじめ決めていません。行く先々で気になった場所だったり、結構行き当たりばったりで音に出会うことが多いですかね。録音時には気づかなかったけれど、帰ってあとから音を聴いて初めて、景色がはっきり思い出せるもののように、時間を置いてから客観的に判断して面白いなと思ったものを選んでいくという順序ですね。
――同じように映像も撮られていると思いますが、映像はもう少し余裕があったら録音に加えて撮るような形でしょうか。
VIDEO:そうですね。余裕があったり、自分がレコーディングしているようすなどを撮ります。そこは結構欲が出ていて、作品の告知で使えるかもと思いながら、レコーディング中にスマホでずっと撮っていたりするものもあるし、ふと景色が綺麗だなと思って撮る時もあるしいろいろです。
――撮影や録音の方法を使い分けているのかなと思ったのは、しっかり三脚を立てて撮っている映像もあればスマホで軽く撮影した場合もあるからです。録音の方法もいろいろあって、iPhoneで録る場合としっかりレコーダーとマイクを使って、という場合もあるし、状況に応じて撮る/録るということの体にかかってくる負荷や時間は全然違いますよね。
VIDEO:結局それも、自分とその土地の関係性が結構出てくるところですよね。じっくり三脚を立てて撮る計画を持っていく場合と不意に出会ったものを撮る場合があるのも、僕がどこまでその土地の情報を知っているかというところによりますね。多摩湖は僕がよく知っている場所だから三脚で撮っても誰にも怒られないみたいなことが自分の肌感覚で分かっていたり、画がもう決まっていたりする。高知・須崎の砂浜でピアニカのレコーディングをした時も、自分がよく知らない小さな町だから目立ったら嫌だなと思ったけど、意外と撮れるという発見があったりしました。その瞬間、その時の自分と天気もあるだろうし、いろんな要素によって撮り方が変わってきますね。
――場所ごとに介入の仕方が全然違うというか。むしろ簡単なセッティングだからこそ機動力を生かしてできる画があるように、方法によって撮れるものが違うので、土地との関わり方ひとつで作品の質が良し悪し抜きに変わりますよね。そしてそれらの素材を集めて曲を作る。先ほどそれぞれの音を聴いたり映像を見ながら、どういう作品を作ろうか考えるとおっしゃっていました。その時、たとえばそのアウトプットとして紀行文を書こう、と思うと体験と言葉が直接結びつくようなイメージがあります。エッセイなどがその類ですね。一方、それを音楽として提出しようと思うと、体験が思考の中で呼び覚まされ、そして音の素材と結びついてさらに編集作業を経て作品となる…、と複雑な過程のような気がします。作品化する時のアウトプットの方法は作家さんによって全然違うと思うんですが、VIDEOさんはどんな姿勢で制作されているんでしょうか。
VIDEO:作品化することがそもそも再訪する理由になっているんですが、その土地に行って、そこの土地を題材に作品を作るのはすごく難しいですね。元々音楽をやっていて、フィールドワークや民族学が専門でもないので、そういう人間が土地を題材にした作品を作るのは1回ではどうしてもうまくいかない。それが今回の再訪というコンセプトにもなったし、自分自身が1回滞在しただけで、その土地についての作品を作ることの是非に何回も疑問を感じながらやっていたところもあります。
――知らない場所に飛び込んで制作する上で、自分の中の倫理観と制作行為を天秤をかけたときに、このまま気持ちよく作品ができるのかという葛藤はわかる気がします。僕もお店を営む中で、過去に他人が残した日記やアルバムを販売しているのですが、どの面下げて売っているんだ、という自分の中での倫理観と葛藤しながら販売をしている。頭の痛い問題です。
VIDEO:いろいろな土地に行って録音するけど、僕がそうやって持ち帰って素材として使っているだけではないか、という罪悪感はやりながらすごく感じていました。そこにどう自分なりの落とし前をつけるのかというのもあって、それは答えが出ていないところではありますけど、曲にすることでもう一度その場所へ演奏しに行くこともできる、という強みはあると思いますね。曲にしてもう1回その土地に演奏しに行って、住んでいる人にもう1回それをアウトプットし返して、その時どういう反応が返ってくるかとか、そういうやり取り自体を最終的なモチベーションにしています。それが音楽の強みだと思う。
――循環させていって、また育てていくというか。
VIDEO:そこで楽しんでもらったりとか。リミックスを収録したのはそういう意味合いも結構ありました。
◎土地を題材にした音楽作品を育てていく
――実際、長崎・野母崎の制作では、曲作りにあたって街の人に音を送ってもらう試みもされていました。
VIDEO:もともと長崎の野母崎では「長崎アートプロジェクト」という企画があって、滞在して曲作りをするものだったんですが、コロナ禍で滞在がなくなってしまったんです。それで長崎市の人とお互いにビデオレターというか、身の回りの風景などを送り合いながら、それにまつわる文通をしたりして、お互いの街のことを紹介しあうワークショップをしました。それで、その送ってもらった映像と音を元に僕が作品を作る企画になったんです。その時にみなさんから送ってもらった音は、今回の「nomozaki」という曲でも少しずつ使っています。
――そういう風に反応や思いを返し合うようなことが続いていくことで、作品が場所に慣らされていくんですね。
VIDEO:その時もなかなか行けていないままやり取りをしているから、展示自体もコロナで中止になって発表できず、作品もこれでいいのかな?と思いながら作っていたんですけど、先日ライブで長崎に行ったらワークショップの参加者もライブに来てくれました。その人たちの前で演奏できて、作品がやっと1つの着地を迎えたような気もするし、またそこから交流が今後生まれるだろうとも思っています。素材を作品にしてしまう罪悪感ももちろんあるんだけど、もう1回それを持って戻れたことがすごくよかったと思いました。メールのやり取りはしていたけど、顔もちゃんと合わせたこともなかったワークショップの参加者も来てくれたので、嬉しかったです。
――もう何十年も住んでいる人同士でもその場所に対する思い出が全く違う、ということはよくあって、その小さな単位での感覚の総体がその場所の特性というものを作り出すのだと思います。今作の日記もその1つと言えますし、音源の中で登場してくる音それぞれも、ボリュームを上げて耳をすませば、普通に聴いていたら聴こえない音が耳に入って、これは一体どこのどんな音なんだろう?と想像したりする。そして現実世界でも、自分がいる場所に流れる音に耳をすませてみる。その経験一つ一つも、場所の特性をつくる重要な要素ですよね。
VIDEO:そうですよね。過去1回旅行で行ったことのある場所など、これをきっかけにもう1回行ったらまた違った発見があるんじゃないかとか、そういう意識を聴き手へ後押しできたら面白いなと思います。今回の制作にかかわらず、僕もライブでいろんな土地に行くことが多いんですが、同じ土地に何回も行くとライブに何度も来てくれる人とかもいるんです。新しい曲を作っていけばまた喜んでくれたり、逆に前も演奏した曲を再演することで覚えてもらえたりとか、ライブをやるうちに自然と自分の肌感覚として、再訪することでしか積み上げられないグルーヴがあると感じています。そんな肌感覚やグルーヴをコンセプトに作品を作ってみたい、という強い思いがあって制作したのが今作でした。
――再訪することでまた違った経験が得られて、場所に対する印象やそこで起こる経験がアップデートされていく。その時、再訪することでの視点の広がりであったり、場所に対する理解の方法を提示してくれるのが今作なのではないかと思いました。記事をご覧の皆さんにもぜひお聴きいただきたいです。
ミュージシャンであり、映像ディレクター。失われつつある映像メディアであるVHSテープを各地で収集し、それを素材にして音楽や映像の作品を作ることが多い。VHSの映像とピアニカを使ってライブをするほか、映像ディレクターとして数々のミュージシャンのMVやVJなども手掛ける。近年では日本国内の様々な土地でフィールドワークを行いながらの作品制作や、個人宅に眠るプライベートなホームビデオのみを用いたプロジェクト「湖底」名義でのパフォーマンスも行っている。2015年の2nd album『世界各国の夜』以降、カクバリズムから多数の音源作品をリリース。その他にも国内外のレーベルからリリースされた作品多数。X:@VIDEOTAPEMUSIC
Instagram:@videotapemusic
bandcamp:https://videotapemusic.bandcamp.com/album/revisit
2024年10月13日(日)東中野・ポレポレ坐
『行方知らずの記憶をまとって』
出演:清原惟・湖底(VIDEOTAPEMUSIC)・井戸沼紀美上映:清原惟『三月の光』(2022、『MADE IN YAMATO』より)
上演:湖底LIVE
TALK:上記2人+井戸沼紀美+城李門(ヤンヤン)OP19:00 / ST19:30
Charge:¥3,500+1D
企画・主催:ヤンヤン
湖底(VIDEOTAPEMUSIC)のパフォーマンスに加え、近作『すべての夜を思いだす』が話題となった、映画監督・清原惟さんの映画上映を合わせたイベントが、今回の聞き手でもあるヤンヤンの主催で開催。
さまざまな人々が持つ小さな記憶や記録へ、わたしたちが何を見出すことができるのか、映画を通して光を当て続ける活動をされている井戸沼紀美さんとのトークも交えながら考えます。
ご予約
https://forms.gle/AWvdNGvgin6X7Sg19
詳細はこちら
https://yanyan-books.stores.jp/news/66db0c27af1f4a0d9c3925cc